逃げるなよ

3年目の敗戦から学び、個別で関わった選手たちが結果を出し、チームの主力へと成長することによって、少しずつ選手の潜在能力を引き出している実感が湧き、最善かどうかはわからないが、間違ってはいない。少なくとも選手たち成長を実感してくれているという感覚が芽生え、個性に合わせた技術指導に自信がついてきた。

しかし、チーム状況は良くならない。

私の権限範囲の中で、できることは何かを常に考え行動をしているが、チームの成果が上がらなければ意味がない。

特に私が課題と感じていたのがフィジカル面の課題である。昨今の高校野球は情報革命により、誰でもパフォーマンスを向上させるための情報を入手でき、10年前・20年前の高校生と比較し、はるかにパフォーマンスが上がっている。トレーニングや栄養など、各チームが工夫しており、練習試合などでも力負けすることが度々あった。

智辯和歌山のトレーニングは髙嶋監督が長年の経験の中で成果を上げてきたメニューを取り入れていた。

私はトレーニングの指導や監督を担っていたのだが、学べば学ぶほど現存のメニューに課題が見え始めたのである。

しかし、私みたいな下っ端の指導者が、恩師であり日本一の監督である髙嶋監督に提案・相談するなど恐れ多いという気持ちから、常に葛藤はあったものの、最終的にはいつも行動できずに終わっていた。

そんな中、2014年の冬にある男の勇気ある行動が私の心に突き刺さった。

齋藤祐太(現JR西日本硬式野球部)

2015年の第97回全国高等学校野球選手権大会出場への立役者となったエースである。

枚方ボーイズ出身で、入学時から左投げやや変則のフォームから繰り出されるボールのキレと制球力は抜群だった。まだまだ体が細く、伸び代十分の選手であった。

体を酷使しながらも、1学年歳上の東妻勇輔(千葉ロッテマリーンズ)と2枚看板で投げ抜いてきた。甲子園にも出場し、悔しい想いもしてきた分、ラストシーズンにかける想いは格別だった。齋藤自身、自分を成長させるために研究熱心でトレーニングやピッチングスキルに関する知識は豊富であった。

2014年の冬のトレーニング期に出来事は起こった。

智辯和歌山名物のタイムレース(300mインターバル走)を、ほぼ毎日のように走りこむトレーニングの繰り返しに非成長感を感じ、タイム測定をしていた私に対して、齋藤がチームメイトを代表するかのように、勇気を振り絞って訴えてきたのを忘れもしない。

「この練習で甲子園に行けるんですか」

心の声だった。

今の智辯和歌山のトレーニングでは現状維持で精一杯であり、その間に他チームは新たな取り組みを採用し、パフォーマンスが上がっていく。

そのことを私が1番感じていたにも関わらず、行動できずにいた。

齋藤の勇気ある行動に目覚めさせられたのである。「古宮、逃げるなよ」と言われている様な感覚になった。

「自分は指導者として何のために存在するのか」 「誰のための高校野球なのか」

根底のマインドを再確認し、髙嶋先生に意を決してチームのトレーニング方針について提案・相談をさせて頂いた。

そこで初めて髙嶋先生とチームの運営方針について会話をする事ができた。

当然、髙嶋先生の長年のノウハウによって考え抜かれたメニューであり、この時点では変革までは至らなかったが、髙嶋先生が私の話をしっかり聞いてくれ、歩みよって下さった事が本当に嬉しかった。

その後、少しずつではあるがメニュー作成を任されるようになり、責任を預けてもらえるようになったのである。

齋藤の勇気ある行動のお陰で今の自分がある。

この様に選手に気づかせてもらう事が本当に沢山あった。

年上の経験豊富な方から学ぶことは、言うまでもなく本当に多い。しかし、選手・生徒児童からも本当に沢山のことを学ばせてもらった。

最初の3年間何故罪を犯してしまったのか。

それは選手に対するリスペクトがなく、ただ上から目線で抑圧し潰してしまっていたためである。

年齢も経験も価値観も関係なく、お互いがリスペクトしあえる関係こそ、チームが安心安全に運営される基礎となる。

しかし、これだけではまだチームを再生させるには不十分であるだけでなく、衰退に歯止めをかける事は出来なかったのである。                                 〜つづく〜

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